mind

SNSに疲れたので、ここから書き直します

最近、SNSを開くのが少し重たくなっていました。

タイムラインには、誰かの成功事例。
誰かのビジネス論。
誰かを批判する投稿。
本当かどうかわからないけれど、やけに話題を呼ぶきれいな話。

そういうものばかりが流れてくる。スクロールするたびに、なんだか息苦しさを感じるようになっていました。

たぶん、これは僕のSNSの使い方が悪かったんだと思います。誰をフォローするか、何に反応するか。
そういう選択を積み重ねた結果、僕のタイムラインはこうなってしまった。
アルゴリズムは僕の選択を学習して、似たような投稿を次々と運んでくる。
気づけば、SNSを開くたびに消耗している自分がいました。

ふと思い出したんです。
昔のSNSは、もっと平和だったなと。


「ごはんなう」
「授業眠たい」
「〇〇おもしろ」

そんな投稿が当たり前だった頃のSNSは、誰も何かを証明しようとしていませんでした。

ただ、今この瞬間に感じたことを、そのまま言葉にしていた。
それだけ。何の意図もなく、何の戦略もなく、ただそこにいる自分の日常を切り取って投稿していました。

誰かが「今日のランチ美味しかった」と投稿すれば、「いいね、どこの店?」と返ってくる。
誰かが「テスト終わった〜」と呟けば、「おつかれ!」とリプが飛ぶ。
それ以上でも、それ以下でもない。
そこには、承認欲求も、ブランディングも、マネタイズも存在していなかった。

でも今は違います。投稿する前に、考えてしまう。

これは誰かの役に立つだろうか。これはエンゲージメントが取れるだろうか?
フォロワーは増えるだろうか?

そんなふうに、投稿することそのものが、何か別の目的のための手段になってしまった。

気づいたら僕も、誰かの「正解」を探しながらSNSを眺めていました。

この人の言ってることは本当だろうか。
この成功事例は再現性があるんだろうか。
この批判は正しいのだろうか。

常に何かを判断し、常に何かを疑い、常に消耗していました。

なぜ、SNSはこんなふうになってしまったんでしょうか?

たぶん、誰が悪いわけでもないんだと思います。

SNSがビジネスの場になったのも、情報発信が戦略的になったのも、それ自体は自然な流れだったのかもしれません。
多くの人が、SNSを通じて価値を届け、収益を得られるようになった。
それは素晴らしいことです。

ただ、その流れの中で、僕たちは少しずつ「投稿すること」の意味を変えてしまった気がします。
投稿は、誰かに何かを届けるための手段になりました。
フォロワーを増やすための戦略になりました。
自分のブランドを作るための素材になりました。
そしていつの間にか、ただ感じたことを呟く、あのシンプルな行為が、どこか恥ずかしいもののように感じられるようになってしまった。

僕自身も、そういう空気に飲まれていました。
何か投稿するなら、誰かの役に立つことを書かなきゃいけない。
ただの日常を投稿するのは、価値がないことだと思い込んでいました。

結果として、SNSを開くたびに「何を発信すべきか」を考え、タイムラインを眺めるたびに「何を学ぶべきか」を探していました。

でも、それって結構疲れるんですよね。

もちろん、SNSでビジネスの話をすることが悪いわけじゃありません。

誰かにとって本当に価値のある情報を発信している人もいるし、それを求めている人もたくさんいます。
批判だって、時には必要な指摘かもしれない。
きれいにまとめられた話だって、誰かの励みになることもあるでしょう。

それに、僕だって何かを学びたいと思ってSNSを開くことはあります。
新しい視点がほしいときもあるし、誰かの経験談を聞きたいときもある。
SNSがそういう場所であることを、否定したいわけじゃないんです。

ただ、僕は気づいたんです。自分が本当に求めていたのは、そういうものばかりじゃなかったんだと。

平和に、ゆるく生きたい。
でも自分の芯はしっかり持っていたい。

その「芯」というのは、強い言葉で誰かに勝つことじゃなくて、自分の基準で選ぶことなんだと思います。
誰かの正解を探すんじゃなくて、自分にとっての心地よさを大事にすること。

僕は、あの頃の平和なSNSの空気感を、もう一度肯定してもいいんじゃないかと思っています。
だから僕は、これから少しずつ、自分のペースでSNSと向き合ってみようと思っています。

誰かの役に立つ情報を発信しなきゃいけないなんてルールはないし、毎日投稿しなきゃいけない義務もない。
ビジネスの話に疲れたら、距離を取ればいい。
批判や真偽不明の話題に巻き込まれそうになったら、そっと閉じればいい。
そして、もし何か感じたことがあったら、ただそれを言葉にしてみる。
それだけでいいんじゃないかと。

「今日のコーヒー、美味しかった」でもいいし、「散歩してたら、いい景色だった」でもいい。
誰かの正解を探すんじゃなくて、自分が心地いいと思える発信をしていけば、たぶんそれが僕の芯になっていくんやと思う。

SNSは、本来そういう場所だったはずです。
自分の日常を、自分の言葉で、自分のペースで切り取る場所。

誰かと比べる必要もないし、誰かに合わせる必要もない。
ただそこにいる自分を、そのまま表現していい場所。
もしかしたら、そういう投稿を続けることで、同じように疲れている誰かの呼吸が、少しだけ深くなるかもしれません。

あの頃の平和なSNSの空気感を、少しずつ取り戻せるかもしれません。

僕はそんなふうに、ゆるく、平和に、でも自分の芯を持って、SNSと付き合っていこうと思います。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です